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金子健造 (コスモス短歌会) : ミニ英和和英辞書
金子健造 (コスモス短歌会)[きんす, かねこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 
金子 : [きんす, かねこ]
 【名詞】 1. money 2. funds 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 
短歌 : [たんか]
 【名詞】 1. tanka 2. 31-syllable Japanese poem 
: [うた]
 【名詞】 1. song 2. poetry 
歌会 : [かかい]
 (n) poetry party or competition
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

金子健造 (コスモス短歌会) : ウィキペディア日本語版
金子健造 (コスモス短歌会)[きんす, かねこ]

金子 健造(かねこ けんぞう、1915年9月8日 - 1988年7月14日)は、昭和時代日本歌人
夢短歌会所属の歌人で「福岡市歌」作詞者(「金子健」名義)の金子健造1905年 - 1992年)は同姓同名の別人。
== 生涯 ==
1915年(大正4年)、山梨県中巨摩郡明穂村(小笠原町櫛形町を経て現在の南アルプス市)で農業を営む相原家の次男として出生〔氷雪の旅, p208〕。山梨県立農林学校を経て1935年(昭和10年)に横須賀海兵団へ入り、海軍砲術学校普通科を卒業する〔。1937年(昭和12年)6月、日支事変の勃発で兵役満了による除隊が不可能となり戦艦長門山城乗組員を経て上海陸戦隊、南方、横須賀鎮守府特別陸戦隊等に配属される〔。
1939年(昭和14年)、北原白秋主宰の『多磨』への投稿を始める。1940年(昭和15年)、海軍砲術学校高等科を卒業〔氷雪の旅, p209〕。1942年(昭和17年)、ミッドウェー海戦から横須賀港に帰還し海軍砲術学校の教員に就任する〔。
1943年(昭和18年)に婿養子として金子静子と結婚し、金子姓となる〔。厚木砲台長として終戦を迎えた後、海産物行商を営む〔。1949年(昭和24年)よりアメリカ軍横須賀海軍施設に勤務〔氷雪の旅, p210〕。1952年(昭和27年)に『多磨』が休刊した後、宮柊二が創立したコスモス短歌会に入会するが、間もなく休会する〔。
1976年(昭和51年)に横須賀海軍施設を退職し、1977年(昭和52年)7月にコスモス短歌会へ復帰。1986年(昭和61年)1月、O先生賞を受賞。1988年(昭和63年)7月14日、直腸癌のため逝去〔氷雪の旅, p211〕。享年74(満72歳没)。没後に妻の静子が編纂した遺稿集が刊行された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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